飛行機で遭遇した迷惑な客の話
今年、パンデミックの前以来で、久しぶりに飛行機に乗ったのですが、迷惑な客に遭遇しましたので、その時のお話と過去の痛い経験を書きます。
飛行機での迷惑行為と言えば、煩い客ですよね。静かに過ごしたい人にとっては、睡眠の妨げになるような声でずっとしゃべられていると、長時間移動できないので勘弁してほしいですよね。
それと、臭いのも迷惑でしょう。体臭や香水がキツイと、席が移動できないときは、注意したところでどうにもならないので、我慢するしかないでしょうから。
さて、私の遭遇した客は、度を越していまして、どちらかというと危ない奴でした。
LCCで黒人に脅された
エアアジアでセブ島から帰国するときのことです。
私が寝ようと思って、座席をリクライニングで倒したときのことでした。
ヘッドフォンで音楽を聴いていたのですが、なんか声が聞こえてきました。
煩いなぁと思いつつも目を瞑っていたら、私の体が揺れたのです。
異常に気が付いて、確認すると、私の座席の背もたれを、後ろに座っている大柄な黒人が掴んでいたのでした。
後ろは3席で、黒人の隣はフィリピン人と思われる女で、その隣の窓際は小さな子供でした。
どうやら食事をするから上げろと言っているのが分かりました。
戻してください。ではなくて、被害者面で文句を言っていました。
機内食のサービスのないLCCです。
私はリクライニングを戻したのです。
これだけの時間が過ぎればもう十分だろうと思われるまで待って、リクライニングを倒しました。
私は寝たかったのです。
すると、またです。
振り返ると食事は終わっていました。
終わったのだから、いいだろう。と伝えて眠りに入ろうとしたところ。
地震かよ。というくらいに座席を揺らされました。いやぁ、黒人は力持ちですね。体格もプロレスラーのようでしたが。
私は静かにキレました。
振り返って、感情的な気持ちを抑えて、説明してあげました。
周りを指さして、リクライニングを倒している人が沢山いること、私の行為はマナー違反ではないことを伝えました。
黒人は自分の膝を指さして、私が倒すと当たると言っていました。
確かに当たるようです。
しかし、一方で私はあと4時間以上も倒せないのは嫌でした。
隣の女も被害者として、参戦してきています。
怒鳴っているし、怒っているのが不愉快でした。
私の横は空席でしたので、その女(窓際に子供がいる状況から夫婦)に黒人と席を交換することを提案しました。
ガン無視です。
だったらおれもと、姿勢を戻して目を瞑りました。
すると、がんがんがんがんがんシートを揺すられました。
怒鳴りながら。
私は、振り返って、よく聞こえる声で、説明しました。
スペースが必要ならば、ビジネスクラスにすればよいでしょう。節約したのは自分の判断で、だったら我慢するべきではないでしょうか。私に文句言わないで、金を使って自分で解決することでしょう。文句言う相手が違うんじゃないでしょうか。こっちも迷惑だからどこかに移動してもらえませんか。あなたは自分がどれだけ自分勝手か分かっているんですかね。
感情的でしたが、ファックとか言わなかったです。偉い!
黒人の席は最後列で、通路を挟んだ席には白人が座っていましたが、この人がいい人でした。
キャビンアテンダントに説明してくれました。
私も説明しました。
キャビンアテンダントの男もいい人でした。
黒人に伝えたことを穏やかに伝えて、移動するべきはは本来向こうだと思うけれど、トラブルは避けたいから私が移動してもいい。ただし、自分で好きな席を選んでよいならばとも伝えました。
一刻も早く移動したかったのですが、チャンスを活かそうと、交渉も挟んで会話しました。
そして、私は、隣が空席のビジネスクラスの席に移動できました。
ビジネスクラスと言ってますが、LCCで追加料金が必要な席のことですけれどね。
最初に女のキャビンアテンダントに指定された席は、危険な奴はいなくても、隣が空席だった前の席より条件が悪くなっていたので、拒否したところ、女は渋ったのですが、私の荷物を持ってきてくれた男に伝えたら、どうぞ、どうぞ、と移動を認めてくれました。
居心地が格段に改善されたので、自分はやはり運が良い人間だと思いました。
この本を読んでいたから、運が上がっているのかもしれません。
ドキュンの挑発に乗って警察に連行された
売られた喧嘩はいちいち買っていた若い頃の話です。
今の私でしたら、巻き込まれないですよ。
スキーをしに札幌に羽田から行ったときのことでした。
通路を挟んだ隣の席の若い家族が、ずっと子供が騒いでいるのに、一切注意しなかったのです。
若かった私でも、小さな子供を持つ親の苦労は想像できましたよ。
しかし、これが一切注意をしないで、放置しておくっていうのは違いますよね。
かなり辛抱しましたが、親に注意しました。
すると、まだ20代の男は、謝罪ではなくて、言葉とゼスチャーで、挑発してきました。
若かったから私も速攻でキレました笑。
手は出していません。
しかし、降りる時に出口のところで、もう一度挑発してきました。
その時に、胸倉を掴みました。
楽しいバカンスが終わり、帰りの飛行機に乗るときのことでした。
チケットを渡すと、様子がおかしいのでした。
傍らから、二人の男が近づいてきました。
一人は初老、一人は未だ20代と思われます。
そっと、私に警察手帳を提示したのでした。
え!?と思いましたが、察しました。
空港の中にある交番での取り調べでしたが、警察24時の話をしたりして和やかなものでした。
先方も私に同情的でした。
あのドキュン連中をその目で見れば、察するものです。
しかしながら、書類の作成が遅いのが残念でした。
で、結構待たされて、その日のうちに東京には戻れたのですが、空港からは電車で脱出できたのですが、終電に間に合わずネットカフェで一夜を過ごしました。
確か、これを無駄にしたくないと思って、当時はハマっていた競馬の予想をして、翌日ウインズ経由で帰って余計な痛手を被ったのでした。
帰りの飛行機のときは、機内アナウンスで、東京の夜景が綺麗なので、席も自由に移動してくださいと粋なお知らせがあって、実際夜景も綺麗で、怪我の功名だったななんて思ったのですけれどねぇ。
当時の私に、これを読めと言ってやりたいものです。
その後、警察で聞いたとおりに裁判所から一度電話がありました。
勿論、不起訴処分で、出頭することもなかったです。
でも、警察官が違う人だったら、違った結果かもしれません。
結局、私は、運がいいのです。
折角、良い星の元に生まれてきたのですから、運を大事に育てていきたいと思います。
老人の団体客に囲まれ隣人の足攻撃と戦う
タイからエアアジアで帰国したときのことでした。
タイ人の老人クラブでしょうか、団体客に囲まれてしまいました。
初めての就学旅行で興奮しているガキレベルの煩さでした。
立ち上がってずっと通路でおしゃべりはするし、お菓子を回してわいわいやっていて煩かったです。
個人的に最も迷惑だったのは、私の隣の男でした。
初めは私の隣はその男のツレの婆だったのですが、それがトイレに行ったときに私の横に移動してきました。
こいつが、どえらい股を開いている奴だったのです。
膝でぐいぐい押してきたから、おいらもガツンといってやりました。
それから、領土に侵入している靴を押し返してやりました。
この爺は靴のサイズ30センチくらいありそうでした。
尖閣諸島の近くで体当たりしてた漁船のように、私の戦艦大和とも言える靴に攻撃をしてきました。
無言でやりあっていても埒が明かないので、私は、領空侵犯だから出て行けと宣告しました。
すると、爺は、前の椅子にあるパンフレットを取り出して、おいらとの境目にの空中に立ててここが真ん中と主張しました。
しかし、どう見ても真ん中ではないし、そこが真ん中だとしても、靴は明らかに境界線を越えて侵入してきているのであります。
私は国際紛争を避けるために、妥協案を提示しました。
だったらお互いに当たらないように、ひじ掛けのあるラインよりも自分の方側に足をひっこめようと、百歩譲って和平交渉に入りました。
が、爺は難くなに拒否するのです。
で、パンフレットを手で持って、境界線を示し、その線のギリギリまでは足を置くと主張して、一切妥協案には応じません。
しかし、明らかにその足は、お互いの座席の間の中心線より私の方にはみ出ているのです。
自分で主張している境界線よりはみ出ていることに異議申し立て、遺憾の意を表しましたが、無視したのです。
遺憾です。。。政治家が使い過ぎて、薄れてしまったのかもしれません。
老人クラブ同盟軍の冷ややかな視線を浴びながら、孤軍奮闘していたのですが、戦いに疲れ果てて、国連に申し出ました。
国際的な紛争を起こす連中を諫めることが出来そうな人、つまり、国際線のスッチーです。
スッチーは私に同情してくれました。
老人クラブに囲まれて、可愛そうだと。
私はもう争いに疲れ果てた。その席で休ませてほしいと、近くにある空席を指さして伝えましたが、その席は値段が違うと断られました。
ポケットに千円札があればよかったのですが、賄賂を渡せませんでした。
せめて私が若い兵士だったのならば、ラインのIDは渡したと思いますが。。。
国連総長は、私がタイ語で領土侵犯するなと伝えましょうと提案してくれましたが、武士が女子に甘えるでないと、大和魂を忘れるな、とどこかから声が聞こえました。
私は断りました。紛争は自分で片付けますと。あなたに甘える訳にはいかない。
戦いに敗れた心境で、帰国しようとしたときに、総長は声をかけてくれました。
この席なら、空いている。と。
そこはトイレの真ん前で、ニオイが気になりましたが、他の全ての座席は3列ですが、そこだけは2列だけの通路側のところで、私はいくら足を伸ばしても、何も問題ない陣地でした。
国連からは隣国の主に何も説明がないので、突然やってきた異国民に怪訝な表情をされたのは言うまでもありません。
私は英語で説明しましたが、窓際で寝ているところを起こされたスリムなタイ女に伝わったかは分かりません。
いずれにせよ、戦わずして勝ったのでした。

詳しくは、この記事を参考にしてください。